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2005年1月 1日 (土曜日)

神奈川→福岡 1140km

帰路は元旦に移動の予定でしたが、元旦は雪の予報だったので、予定を繰り上げて12月31日の朝に出発しました。それでも途中から降り出して、交通規制を絶妙にすり抜けながらの帰路となりました。

まず、東名高速の足柄→御殿場のあたりで雪がぱらつき、そこは難なく通過しましたが、夕方に名古屋あたりで交通情報を聞くと、御殿場IC~東京IC間がチェーン規制になったとのこと。さらに夜には通行止めとなったそうなので、もし元旦にしていたら出発すらできないところでした。

次に名古屋の先、名神高速の滋賀の栗東ICから大阪の吹田JCTまでがすでに通行止め。栗東で降りる車のためか竜王→栗東の間の渋滞が所要2時間とのこと。この様子では、名神に併走する国道に降りても大渋滞だろうと予想し、三重から奈良に抜ける名阪国道にルート変更しました。名阪国道(高速ではないが自動車専用道)も同じように企んだ迂回車で渋滞していましたが、きっと滋賀ルートよりはましだったでしょう、夜9時頃には天理ICに入りました。ちなみに名阪国道の途中、対向する東行き車線には何台かスリップ事故車を見かけました。そのせいか、東行きは一時通行止めにされていたので、私が乗っていた西行きも封鎖されてもおかしくない状況だったでしょう。

その先の交通情報で、当初の予定ルートだと吹田JCTの先、山陽道の三木ICまでが通行止めとなっているが、阪神高速と、兵庫のごく海沿いの道だけは通れることが分かりました。そこで、天理ICから西名阪→阪神高速→第二神明→姫路バイパスと通って、龍野西ICから山陽道に入りました。おかげで大阪の通天閣や神戸の夜景を車窓から眺められました。

岡山県の吉備SAで、蕎麦を食べつつ紅白のラストだけ見て年越し。

さて、ここまで奇跡的に雪道から逃げおおせていたのですが、とうとう未明の山口県で雪に捕まりました。小郡ICを過ぎたころからぼた雪が激しくなり、あるトンネルを抜けたら急に雪道。とりあえず周囲の車と暗黙の了解のようなもので隊列を組み、チェーンの装着作業が出来そうなところを探しながら慎重に徐行で進みます。まもなく美東SAなのでそこでチェーン装着かなと思っていた矢先、SAまで2kmのところで広い路肩があり、多くの車がチェーンの装着を行っていました。私もここでチェーンをつけました。

こんなこともあろうかと、今回の旅の直前にチェーン(正確にはスパイク付きのゴムネット状のもの)を購入していました。予行練習しなったのでこれが初めてのチェーン装着です。まずは開封して説明書を読むところから。(汗)
外で説明書を広げて読みながら作業しようよしたら、見る間に雪に覆われて読めなくなってしまいました。いったん車内にもどり、説明書の装着手順を暗記して出直し、なんとか装着できました。

20050101snow2美東SAに入り大休止。交通情報をみると、自分がいる区間(小郡IC~小月IC)が通行止めになってしまっていました。こういうケースは初めてだったのですが、「入ってしまっている車はとりあえずそのまま進めるよ」という話を信じてSAを出発。

20050101snowその先々のIC出口で「ココデ出ヨ」との電光掲示があるものの、とくに進路が封鎖はされていないので、周りの車も一緒になって「見なかったこと」にして直進。どうせ降りても雪道だし、ならば通行止めになって後続車が来なくなった広い高速を、みんな一列に徐行したほうが安全だし早いだろうという正当化です。

関門海峡の下関側、壇之浦PAで一旦チェーンをはずしましたが、北九州でまた雪が激しくなり吉志PAで再装着、鞍手PAで取り外し。ここでも、逆向きが八幡東ICから先、通行止めになっていました。

このように途中に迂回やチェーン走行があったものの、通行止めで全く身動きが取れないということはなく、休憩は多めにとりましたが順調に走り続け、元旦の午前10時すぎに、福岡に帰宅しました。

所要時間は約26時間、走行距離は迂回した割に往路と大差なく1140kmでした。

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