消えた2週間
この2週間(ほぼオリンピック期間)、家族で順番に風邪を引いて、寝込んでいました。
始まりは2月12日(金)の夜から、妻と子供が発熱と嘔吐。地域の夜間救急外来へ。当初はノロウイルスの可能性を考え、嘔吐物の処理など、慎重に対応しました。
13日(土)朝に改めて近所の病院に行き、病院の待合室でオリンピックの開幕を知りました。それから土日にかけて、動けるのは自分だけなので、買い出しと看病に明け暮れる。当初の診断は(病名ではなく症状として)「下痢・嘔吐」だったので、土曜は食事を控え、水分補給に注意。
14日(日)義母・義姉からチョコが届くが、今日は頂くことができず、飾っておく。妻もチョコレートケーキを作ろうと、材料を用意してくれていたのだけれど、残念ながら中止。
お粥からだんだんと食事を戻してゆく。
子供の熱が最高で40℃まで上がる。
15日(月)大事な予定がある2時間だけ出勤。職住接近は、こういうとき助かる。
最初の晩以後、お腹の調子に問題はないので、「下痢・嘔吐」ではなかったのかも。
16日(火)妻がほぼ快復。自分は通常勤務。
17日(水)子供の熱が38℃あたりから、なかなか引かない。咳も。
午前中に病院へ連れて行き、もう少し詳しく調べてもらう。
インフルエンザ→陰性
アデノウイルス→陰性
胸部X線で、軽い肺炎が見られる→マイコプラズマか?
午後から仕事へ。会議中に悪寒。帰宅したら38℃。
ここまで持ちこたえたけど、子供と添い寝していたから、うつったらしい。
看病係を妻と交替。
18日(木)朝には平熱に下がったので通常勤務。
19日(金)通常勤務
COSPARのアブストラクト締切だったけど、この1週間時間が取れなくて準備できていない・・・と思ったら、締切が26日まで1週間延長されていました。助かった。
帰宅したらまた38℃。
20日(土)熱は38℃台。
子供といっしょに布団で横になって、オリンピックを見る。
子供のほうは熱も引き、ほぼ治った。
21日(日)熱が39℃台。最高39.8℃で、解熱剤を使う。
苦しくて、今日はテレビを見る余裕もない。
22日(月)一日休む。痰と鼻水がひどい。38℃台
23日(火)朝、36.8℃まで下がったので出勤したが、昼過ぎからだるくなり早退。
帰宅して測ってみると39.4℃。明日、大事な打ち合わせがあるので代役を頼む。
24日(水)熱が37℃くらいの微熱まで下がったので、大事な打ち合わせの1時間だけ出勤。この日は他にも、中程度に大事な予定が3件くらいあったのだけれど、最重要な1件だけで他は休ませてもらった。それでも帰宅後には38.4℃。
25日(木)一日休む。37℃→36℃台
「治りかけては、無理してぶりかえす」を繰り返して、結局家族で私の風邪が最長になってしまった。ここでしっかり治さないと。黄色っぽい鼻水が大量に出たのは、後で思えば副鼻腔炎だったのかも。(後述)
26日(金)自分はやっと治ったらしい。しかし今度は妻が発熱と耳に痛み。風邪から中耳炎になったらしい。再度、看病役を交替です。妻を耳鼻科に送り、子供を保育に送ってから出勤。
COSPARの延長された締切日。しかし、この1週間も体調不良で、アブストラクトがまったく書けなかった。締切時刻間際に、突貫で書いて応募しました。
27日(土)今日は妻が休養。私と子供でお買い物。
休みつつ、オリンピック観戦。
そういえば、バレンタインのチョコをまだ一つも食べていない。
28日(日)妻の症状が、22日頃の私の症状と似てきた。
・前の頬と額(副鼻腔のあるところ)が重い感じ
・頭痛
・歯痛(頬の副鼻腔に接するあたり)
・大量の鼻水(色つき)
3月1日(月)妻が再度耳鼻科へ。中耳炎は治まってきた。
診断は副鼻腔炎。私のもそうだったのかも。
それから、今日にかけて、
妻の副鼻腔炎もゆっくりとなおってきました。あと一息。
自分は咳がまだ少し取れない、咳は長引くかも。
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風邪を引いていた2週間+この1週間は多忙で、ブログの更新ができませんでした。この間の出来事を、あとで遡って書きます。
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