訃報:長友信人先生
私が大学院(@宇宙科学研究所)のときの指導教官だった、長友先生が17日に永眠されました。
23日付でISASから訃報が出ており、私は今朝、その研究室の助手さんから電話で知らされました。
糸川先生の弟子である長友先生もまた独創的なかたで、常に世間の10~20年は先を行くテーマを開拓されていました。そして研究成果が実りそうになると部下に譲り、自分はさらにフロンティアを開き次の種をまく。そのようにして、種が花開いた時には表舞台に居ないため、分野外の人にはあまり有名でないかもしれません。時代の先を行きすぎているため、山師のように思われることもあったと聞くあたり、ツィオルコフスキーやゴダードに通じるところがあります。
私が聞き知っているだけでも、
1960年代 原子力ロケット(博論),ラムダロケットの設計(大学院生ですよ!)
1970年代 M-3ロケットの設計(本業),日本で初めてスペースデブリに注目,日本で初めて電気推進エンジン,日本で初めて液酸/液水エンジン
1980年代 スペースラブ(本業),SFU,スペースプレーン,ソーラーセイル
1990年代 太陽発電衛星,宇宙観光旅行
最後にお会いしたのは、2004年秋の九工大でのSPS(太陽発電衛星)シンポジウムのとき。懇親会で久しぶりにゆっくりお話ができたのですが、その頃はさらに未来を見据えて、「火星に植林するんだ」と楽しそうに構想を語ってくださいました。実際に減圧チャンバー内で木を育てる実験をし、植物学会で発表された資料もいただきました。
糸川研での後輩となる的川先生の著作中にも、昔の武勇伝が記されています。
・内之浦の黎明期の「まむし」
・珍酒「大隅大海」
謹んでご冥福をお祈りします。
-----
追記
| 固定リンク
「航空・宇宙・天文」カテゴリの記事
- 書籍購入(2017.02.03)
- UZUME計画と、宇宙災害の書籍(2017.05.17)
- サイエンスカフェ@うきは(2016.05.19)
- 大野城で宇宙講演会(2015.05.12)
- 第11回種子島ロケットコンテスト(写真)(2015.03.02)
コメント
訃報を聞いて私も本当にがっかりしました。
あるアイデアを相談し、その実験を私が着手していないと申したところ、
研究は企業活動以上に早く進めないといけないと忠告されました。
今でも、「はやくやれ、いますぐやれ。」という声が聞こえてきそうです。
ご冥福をお祈りします。
投稿: バロン石井 | 2007年6月 1日 (金曜日) 22:00
私も長友先生の言葉で一番印象に残っているのが「早くやれ」です。他にも格言めいた名言がいくつもありますが、シンプルで本質をついている「早くやれ」が、いつも思い出されます。それで、プロジェクトが停滞しているときも、やる気を出させてもらいます。
投稿: ごんざぶろう | 2007年6月 2日 (土曜日) 21:07
ISASニュースNo.314(2007年5月号)の8ページ目に、稲谷先生による追悼文が掲載されました。
http://www.isas.jaxa.jp/ISASnews/No.314/ISASnews314.pdf
投稿: ごんざぶろう | 2007年6月21日 (木曜日) 16:09