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2006年3月17日 (金曜日)

1991年の種子島

種子島上陸は15年ぶり2回目です。そのときの思い出を紹介しましょう。

前に来たのは1991年3月、航空学科3年生の春休みの見学旅行のとき。まず中京から阪神地区のメーカー各社を見た後、大阪から夜行フェリーで鹿児島へ渡りました。ここから、旅行の後半の引率は、当時30代前半の講師だった中須賀先生でした。(今でも変わらぬ若々しさ)

鹿児島では内之浦のISASを見学してから、JACのYS-11で種子島へ。航空工学を学んでいながら、飛行機搭乗はこれが初めてでした。そういえば、この3月16日には新種子島空港も開港したそうで、YS-11は9月末で引退も決まっており、寂しさを感じます。生まれて初めて乗った飛行機がYS-11だったことは、良い思い出になりました。
 →JAC「ありがとう日本の翼 YS-11 キャンペーン」

当時の種子島宇宙センターは、吉信射点にH-II の設備が建設中で、H-II が収まる形にぽっかり空洞が空いた、ピカピカの整備棟を見せてもらいました。この旅行で、名古屋でMHIを見学したとき、H-I の最終号機と、H-II の初号機が工場に並んでいました。当時はLE-7の開発が難航していた頃で、種子島宇宙センターの燃焼試験設備の敷地の隅にも、試験で破損したLE-7が転がっていました。
そのへんのエピソードは明日の坂爪氏の講演で。

その後、困難の末にLE-7が完成し、初号機の打ち上げは3年後の1994年2月になりました。H-II打ち上げのとき、私は修論を書いていて、研究室で迎えた朝のNHKニュースで打ち上げの中継を見ました。

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