20年前のその夜は、ペルセウス座流星群の極大日でした。
私は高校では地学部(天文+気象+地質)に所属しており、毎年この時期には2泊3日の夏合宿を開いておりました。その年、高校1年生だった私は初めての参加です。合宿の場所は、過疎のため廃校となった学校に併設する寄宿舎です。これは、山間部で学区が広かったため、通学不可能な児童・生徒が寄宿していた建物です。廃校後も市役所が管理しており、文教活動のために、安価に利用できました。平屋で、二段ベッドの4人部屋が5部屋くらいと、6畳間(管理人)、大座敷、食堂、風呂、洗濯場、だったと思います。電気はありましたが、テレビはありません。
山間部なので夜の星はとても綺麗な場所です。宿舎の前は大きな広場となっており、夜は広場の真ん中にビニールシートを広げ、徹夜で流星群の計数観測を行います。計数観測のフォーメーションは参加人数によりますが、この夏合宿は比較的人数が多く集まるので、「8人計数」で行うことが多かったです。つまり8人が頭を中心に「米」の字型に寝転んで、45度ずつ8方位を分担して監視し、出現する流星の光度や位置を報告します。8人の中心には1人ないし2人の記録係と時計係を置きます。30分ごとに位置をローテーションし、人数に余剰があれば休憩させます。この夏合宿では、初めて流星観測に参加する新人も多く、また、お盆で帰省して参加するOBも多かったので、よくOBが米の字の隙間に参加して、流星を待つ間に新人に星を教えてくれたり、観測の補助をしてくれました。
さて、日付も変わり8月13日(火曜)の午前1時を過ぎたころです。宿舎内で休憩中だったOBの一人が、中島みゆきのオールナイトニッポンでも聴こうとラジオを点けたところ、なにやら名前を延々と読み上げている、ということで我々グループは下界からかなり遅れて事故のニュースを知ったのでした。私は1時から休憩時間で一緒にラジオを聴いていたのだったか、観測中に「何かあったらしい」ということを聞いて、1時半からの休憩時間でラジオを聞いたのだったか、ちょっと記憶が定かではありません。
覚えているのは、
- 延々と読み上げられる名簿。しばらくしてアナウンスで「ただいま予定を変更し・・・・乗客名簿を読み上げております」。
- 「オオシマヒサシさん。この方は歌手の坂本九さんです。」
- 「長野県○○村で、山に火が見えるとの情報が・・・」
- 「自衛隊が現地に向かっております」
- 「行方不明となった日航機が飛んでいるとしたら、燃料が尽きる時間は○○時(とうに過ぎている)」
この時点では、まだ情報が不十分で、墜落が濃厚ながら断定できず「行方不明」だったのです。
翌朝、合宿は終了し、機材を運んで高校に寄り、帰宅はお昼ごろになりました。帰宅して初めてテレビのニュースを見ました。ちょうど生存者がヘリで吊り上げられるところでした。たしか、この時点では「4人生存」の情報が、2ルートから伝わって「8人生存か?」とも言われていましたが、まもなく重複情報だと判明するという出来事がありました。
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さて、私が大学の進路を航空宇宙工学に定めたのは、高校2年生か3年生の頃でした。この事故が私の進路の選択に影響を与えたかというと、正直なところそうは思いません。興味は航空よりも宇宙でしたし。
しかし、航空学科に進学して「航空」を勉強しだしてからだったと思います、過去の航空事故の事例に強く関心を持つようになりました。当時の学科の雰囲気として、事故から5年後でまだ記憶に新しく、学問的にも解明・解決すべき課題を含んでいました。加藤寛一郎教授の航空機力学では、ダッチロール運動の例によく採りあげられましたし、塩谷義教授の材料力学では金属疲労・応力集中とクラックの進展現象が、この事故と関連していました。
また、加藤先生は航空事故の本をたくさん執筆されていて、それが講義の参考図書(?)に挙げられていたのがきっかけだったと思いますが、その後は自主的に事故の本を読み漁りました。以下に、そのころ私が読んだものを列挙します。
- 加藤寛一郎「生還への飛行」
- いろいろな事故の生死を分けた事例。
- 加藤寛一郎「壊れた尾翼―日航ジャンボ機墜落の真実」
- 日航123便事故と、全日空の雫石事故について、航空機力学的に考察する。
- 柳田邦男「マッハの恐怖」「続・マッハの恐怖」
- 昭和40年代に連続した墜落事故の真相を追う。
- 柳田邦男「撃墜―大韓航空機事件」
- なぜ大韓航空機は航路を外れてしまったのか。なぜソ連は民間機を撃墜してしまったのか。いくら潰しても出てくる、浅はかな陰謀説との闘い。
- 朝日新聞社「日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時」
- 報道の側から見た当日の記録。情報の混乱はどのように起こったのか。なぜ救助が遅れたのか。遺族に取材する記者の苦悩。(原因不明だった事故直後、ペルセウス座流星群の隕石衝突説すらあったことを、この本で知りました。)
- 吉岡忍「墜落の夏―日航123便事故全記録」
- 日航123便事故を、人間の側から追ったノンフィクション。
このなかで、柳田邦男氏の「マッハの恐怖」シリーズはとくに名作です。航空工学を学ぶ学生には是非読んでおいてほしい。文系出身の記者だった柳田氏が、フリーのノンフィクションライターとして独立した初期の作品で、その後の彼の作風の基本となる、膨大な資料と緻密な取材に基づき、客観的に真相を追求する姿勢が見事です。
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おわりに、
現在の私自身、航空安全に直接貢献できる職にはいないけれど、やはりこの日になると思うところがあります。せめてできることとして、事故を風化させず、航空業界へ巣立っていくかもしれない教え子たちにでも、語り継げればと思います。
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