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2005年8月12日 (金曜日)

1985年8月12日の記憶

20年前のその夜は、ペルセウス座流星群の極大日でした。
私は高校では地学部(天文+気象+地質)に所属しており、毎年この時期には2泊3日の夏合宿を開いておりました。その年、高校1年生だった私は初めての参加です。合宿の場所は、過疎のため廃校となった学校に併設する寄宿舎です。これは、山間部で学区が広かったため、通学不可能な児童・生徒が寄宿していた建物です。廃校後も市役所が管理しており、文教活動のために、安価に利用できました。平屋で、二段ベッドの4人部屋が5部屋くらいと、6畳間(管理人)、大座敷、食堂、風呂、洗濯場、だったと思います。電気はありましたが、テレビはありません。

山間部なので夜の星はとても綺麗な場所です。宿舎の前は大きな広場となっており、夜は広場の真ん中にビニールシートを広げ、徹夜で流星群の計数観測を行います。計数観測のフォーメーションは参加人数によりますが、この夏合宿は比較的人数が多く集まるので、「8人計数」で行うことが多かったです。つまり8人が頭を中心に「米」の字型に寝転んで、45度ずつ8方位を分担して監視し、出現する流星の光度や位置を報告します。8人の中心には1人ないし2人の記録係と時計係を置きます。30分ごとに位置をローテーションし、人数に余剰があれば休憩させます。この夏合宿では、初めて流星観測に参加する新人も多く、また、お盆で帰省して参加するOBも多かったので、よくOBが米の字の隙間に参加して、流星を待つ間に新人に星を教えてくれたり、観測の補助をしてくれました。

さて、日付も変わり8月13日(火曜)の午前1時を過ぎたころです。宿舎内で休憩中だったOBの一人が、中島みゆきのオールナイトニッポンでも聴こうとラジオを点けたところ、なにやら名前を延々と読み上げている、ということで我々グループは下界からかなり遅れて事故のニュースを知ったのでした。私は1時から休憩時間で一緒にラジオを聴いていたのだったか、観測中に「何かあったらしい」ということを聞いて、1時半からの休憩時間でラジオを聞いたのだったか、ちょっと記憶が定かではありません。

覚えているのは、

  • 延々と読み上げられる名簿。しばらくしてアナウンスで「ただいま予定を変更し・・・・乗客名簿を読み上げております」。
  • 「オオシマヒサシさん。この方は歌手の坂本九さんです。」
  • 「長野県○○村で、山に火が見えるとの情報が・・・」
  • 「自衛隊が現地に向かっております」
  • 「行方不明となった日航機が飛んでいるとしたら、燃料が尽きる時間は○○時(とうに過ぎている)」
この時点では、まだ情報が不十分で、墜落が濃厚ながら断定できず「行方不明」だったのです。


翌朝、合宿は終了し、機材を運んで高校に寄り、帰宅はお昼ごろになりました。帰宅して初めてテレビのニュースを見ました。ちょうど生存者がヘリで吊り上げられるところでした。たしか、この時点では「4人生存」の情報が、2ルートから伝わって「8人生存か?」とも言われていましたが、まもなく重複情報だと判明するという出来事がありました。

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さて、私が大学の進路を航空宇宙工学に定めたのは、高校2年生か3年生の頃でした。この事故が私の進路の選択に影響を与えたかというと、正直なところそうは思いません。興味は航空よりも宇宙でしたし。
しかし、航空学科に進学して「航空」を勉強しだしてからだったと思います、過去の航空事故の事例に強く関心を持つようになりました。当時の学科の雰囲気として、事故から5年後でまだ記憶に新しく、学問的にも解明・解決すべき課題を含んでいました。加藤寛一郎教授の航空機力学では、ダッチロール運動の例によく採りあげられましたし、塩谷義教授の材料力学では金属疲労・応力集中とクラックの進展現象が、この事故と関連していました。
また、加藤先生は航空事故の本をたくさん執筆されていて、それが講義の参考図書(?)に挙げられていたのがきっかけだったと思いますが、その後は自主的に事故の本を読み漁りました。以下に、そのころ私が読んだものを列挙します。

加藤寛一郎「生還への飛行
いろいろな事故の生死を分けた事例。
加藤寛一郎「壊れた尾翼―日航ジャンボ機墜落の真実
日航123便事故と、全日空の雫石事故について、航空機力学的に考察する。
柳田邦男「マッハの恐怖」「続・マッハの恐怖
昭和40年代に連続した墜落事故の真相を追う。
柳田邦男「撃墜―大韓航空機事件
なぜ大韓航空機は航路を外れてしまったのか。なぜソ連は民間機を撃墜してしまったのか。いくら潰しても出てくる、浅はかな陰謀説との闘い。
朝日新聞社「日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時
報道の側から見た当日の記録。情報の混乱はどのように起こったのか。なぜ救助が遅れたのか。遺族に取材する記者の苦悩。(原因不明だった事故直後、ペルセウス座流星群の隕石衝突説すらあったことを、この本で知りました。)
吉岡忍「墜落の夏―日航123便事故全記録
日航123便事故を、人間の側から追ったノンフィクション。

このなかで、柳田邦男氏の「マッハの恐怖」シリーズはとくに名作です。航空工学を学ぶ学生には是非読んでおいてほしい。文系出身の記者だった柳田氏が、フリーのノンフィクションライターとして独立した初期の作品で、その後の彼の作風の基本となる、膨大な資料と緻密な取材に基づき、客観的に真相を追求する姿勢が見事です。

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おわりに、
現在の私自身、航空安全に直接貢献できる職にはいないけれど、やはりこの日になると思うところがあります。せめてできることとして、事故を風化させず、航空業界へ巣立っていくかもしれない教え子たちにでも、語り継げればと思います。

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コメント

久しぶりに TB させていただきました.
この事故当時中学生だった私は当時から飛行機好きで,友人と事故原因について下らない説を言い合っていたのを記憶しています.
Atmospheric Flight が仕事の対象となり,飛行制御の面から飛行の安全性向上を目指すような仕事に奇しくも携わるようになって,この事故には人とは違った思い入れがあります.そのため,かなりドライな視点のエントリ内容となっしまいましたが….

投稿: A3 | 2005年8月15日 (月曜日) 15:11

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受信: 2005年8月12日 (金曜日) 15:34

» 日航機事故から20年,安全神話なぞ元から存在しない�A [Words of A-Cubed Revisited]
8月12日は日航機 123 便が御巣鷹に墜落した日で,今年で20年目.最近エアラインの不祥事を頻繁に耳にする.12日当日も JAL の子会社の機体が飛行中にエンジントラブル(エンジンから出火)で福岡空港に緊急直陸するという事象が起きていた.節目の年,そしてまさに12日にかような不祥事を起こしてしまうという JAL 及びその関連企業の運用・管理の甘さは,弁護の余地�... [続きを読む]

受信: 2005年8月15日 (月曜日) 14:55

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